16年目の豊作

 柏崎市を分断して流れる鯖石川沿いにはのどかな田園風景が広がる。秋になるとどこまでも続く稲穂が黄金色に染まり日本海からの風に揺れ、それは美しい景色だそうだ。小川麻琴が育った地。今年は彼女の髪も黄金に染まった。

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 今年は「不作」だった。柏崎市がある上越地方。冷夏でコメの作況指数は、新潟県内で最も低い「92」(10月15日時点・北陸農政局発表)。北東北や宮城などの惨憺たる状況に比べれば被害は小さいが、低気温と日照時間の短さが響き、「米所・上越に衝撃が走った」と地元報道は伝えている。

 一方、黄金色に輝く小川麻琴という“稲穂”にとっては「豊作」の年だったようだ。ふくよかに、そして色鮮やかに実った。着飾らない純朴さと天真爛漫ぶりはそのままに、小川麻琴はこの一年で確実に成長した。

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 彼女は口下手だというイメージがある。司会者に振られても矢口真里や他の諸先輩のように気の利いた言葉を返せない。ただ顔を赤らめて嵐が去るのを待つ。ボキャブラリーがないわけではない。学習能力もある。努力家の彼女だから他のメンバーのリアクションを参考に、それを模倣するくらいのことはできたはずだ。ただ単に自信がなかったのだ―――。

 トークは他人に譲り、得意のダンスに打ち込む。そんな彼女を愛しく思えたが、タレントとしてはあまりにも控えすぎた。まして6期が入り群雄割拠の色彩をますます強めたモーニング娘。では言わずもがな、だ。そんなことは本人が一番わかっていたのだろう。聞いた話だが、「6期メンバ―加入」の報を聞いた彼女の動揺ぶりは尋常ではなかったらしい。

 変化が見られるようになったのは中学卒業以降だ。ある種の変身願望からか、髪の色は黒から茶へ、そして茶を黄金へと。カラーの変遷と軌を一にして自分に自信を持ち始めたように見えた。表情のぎこちなさやカメラへの“脅え”が見られなくなった。彼女にしか見えない「心の壁」が徐々に崩れていく。HPWを初回から振り返るとその変化がわかった。壁にヒビを入れてくれたのは、もしかしたら総合司会の中澤裕子だったかもしれない。

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 彼女は“強く”なり始めた。6月のミュージカル中に起きた「腰部ねんざ」も乗り切り、その経験がまた彼女を強くした。もし“変身”できていなかったら彼女はあそこでダメになっていたかもしれない。

 1987年10月19日月曜日。彼女が生まれる10日ほど前、ニューヨーク市場に“悪夢”が襲った。「ブラックマンデー」だ。ブラックマンデー後いくつかの金融機関が破たんしたが、淘汰によって米国金融界は収斂され強固なものになった。米当局は積極的な金融支援策をとり実体経済への影響を小さくしたため翌年、翌々年は高い経済成長を実現した。ブラックマンデーはその後続く好景気の「踊り場」に過ぎなかった。
 
 「6月の悪夢」から4ヶ月が経った。結果としてあの出来事は彼女にとって右肩上がり成長の“踊り場”だったようだ。彼女も持ち味である切れの良いダンスはいまなお健在だ。多少、腰を気にかける場面もあるが、彼女独特の「静」と「動」の動きはよりシャープになった気がする。それ以上にこの経験が彼女にとってなによりの財産になったはずだ。

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 そしてモーニング娘。として3年目、小川麻琴として16年目の坂を登っていく。そのうしろ姿をハラハラしながら見守っていきたい。お誕生日おめでとう。これからもがんばってね。(瀞)