「モーニング娘。安倍なつみ」の余命はわずか6ヶ月程しかない。

 “なっちショック”の衝撃は、もの凄い速さで日本国中に伝わったのだろう。ボクは一報を聞き「とにかく現場へ」とタクシーに飛び乗った。が、それはボクだけではなかったようだ。渋谷から原宿の中間あたりで前後を走っていたタクシーも同じ場所を目指していたことに気付いた。3台並んで代々木第一体育館前に止まった。

 マスコミの対応も“なっちショック”の衝撃度が物語る。事前レクはなかったにも関わらず、共同通信は夜公演開始直後の18時50分に本人コメント付きで速報記事を配信。翌日の全国紙でも写真付きという異例の扱いで配信記事を社会面に掲載した。ここまでの扱いはモーニング娘。史上初めて。日本にとって卒業の宣言がすでに“事件”だった。

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 「22歳の私」が終わり演目は続いたが立ってはいられなかった。胸のあたりをごっそりえぐられたような感覚が襲った。心がどこかへ消え去ってしまった。ASAYAN時代の映像が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。ポカンと代々木第一体育館の天井を見つめていた。そして放心状態になっている自分が不思議でたまらなかった。遠い昔になっち推しを名乗っていたが、なっちからずいぶん離れ、最近では目を止める事すら少なかったのに――。

 「自分自身の将来にもうすでにいろんなビジョンが広がっている」というなっちの表情に、揺らぎのない決意が感じられた。不安はあるだろうが躊躇いはないようだ。しっかりとした未来予想図を持っているのだろう。なっちを命がけで応援している人も、動揺はあるもののとりあえずは喜ばしい出来事と捉えていた。「なっちの未来は明るくネガティブな卒業ではない」。この予測には説得力がある。ソロシンガーとしても女優としても卒業後には可能性が満ち溢れていると思う。安倍なつみが本当に面白くなるのはこれからのはずだ。

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 なのに、こうも力が抜けてしまうのはなぜだろうか。渋谷で仲間と飲みながら一人謎解きを始めた。

 ボクもなっちに魅了され娘。を追いかけるようになった者の一人だ。モーニング娘。ファンのボクを生んでくれたのは紛れもなく「安倍なつみ」だったわけだ。しかし、安倍なつみに始まりその後、幾人か推しを変え、原点である「なっち推し」という過去はいつのまにか風化し、記憶から消え去っていた。

 いつしかなっちは「帰る場所」だけ提供してくれるボクにとって都合のいい存在となっていた。モーニング娘。はなっちが支えてくれる。だから安心して他のメンバーにうつつを抜かしていた。そう、ボクは「安倍なつみ」に甘えすぎていた――。

 いつもそこになっちがいた。そう6年間もだ。記憶の中でなっちはいつだってコロコロと笑ってくれている。あの笑顔は母親譲りだという。笑顔だけではなく彼女の何気ない言動に母性を感じることが多かった。彼女は「娘。のマザーシップ」だが、ボクやボクと同じような道を辿った人にとって、実は"母親"だったのかもしれない。その風景にいるのが当たり前すぎる存在。目を向けることも少なかった。だからついついぞんざいに扱ってしまう。そして失いかけたときにやっとその有り難味がわかった。そんな愚かな自分を悟る。猛烈に後悔しながらウイスキーのストレートを飲み干した。とにかくなっちに謝りたくなった。

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 幸いなことにまだ猶予期間がある。この時期の卒業発表は「ソロシングルの宣伝狙い」という指摘は的を射ているだろうし、時期については今後も議論もあると思う。ただボクには半年前に公表してくれたことが救いとなった。遅すぎるかもしれない。でもこれから“なっち孝行”を精一杯していきたい。

 「なっち、わがままなヲタでごめんね。そしてありがとう」。卒業の日に胸張ってそう言えるかな。