田中れいなとドイツ

writer_toro2005-11-11

1989年11月11日、福岡の天気は快晴。


その日の新聞をみると、と新聞をハンマーを振り下ろす青年の写真が一面を飾っている。田中さんが生まれた直後のこと。ドイツを東西に分断していたベルリンの壁があまりにも唐突に崩壊した光景は、感動的だった。東西冷戦の象徴だった壁が崩れたという世界史が動いたときに田中さんは生を授かった。


その時、僕は今の田中さんより若くて、一体に何が起こったのはさっぱりだったけど、両親がテレビに釘付けになっている姿とテレビの記者が興奮気味にレポートしているのをみて、子供なりに鼻息が荒くなっていた。まるで東京に雪が舞い降りたときのような高揚した気持ちだった。


そう考えると、少し田中さんと近くなったような気分になる。


田中さんと“同い年”の新生ドイツ。今も統一の影響で、経済的に不安定だ。失業率は10%を下回ることはない。政治的にも移民問題を抱え、一部ではナショナリズムが台頭し、その一方で、東ドイツを懐古するような政治勢力が表舞台に繰り出してきた。でも、東西という2つの国を内包するドイツは、まだ国家としては青二才だ。


混乱と混沌、迷いと反発は若者の特権。それと比べ、田中さんはずいぶんと大人だ。田中さんのふとした仕草や言葉の端々にはあどけなさが見て取れるが、視線や歌声には鋭さがあり、佇まいは凛としている。あどけなさと凛々しさが同居している。ドイツと同様、「2つのれいな」を内包しているのが「田中れいな」なのかもしれない。


田中さんにとって15歳の1年は、どうだったのだろう。傍から見る限り、人生の15分の一以上の価値はあったと思う。光り輝いた1年だったのは恐らく間違いないだろう。ただ、ここで田中れいなは立ち止まらない。


ナチス・ドイツを痛烈に批判したチャールズ・チャップリン。彼は記者に「一番気に入った自作の作品は」と聞かれると必ず「次回作」と答えたという。田中さんに取材する機会があったら「これまでの人生で一番素敵な1年はいつですか?」と質問してみたい。田中さんはきっと「今日から1年です」と笑顔で答えてくれるはずだ。【瀞】(娘。ラジ宴11月11日放送分を加筆)