“ 白鳥化”するモーニング娘。 

writer_toro2004-09-24


最近、双眼鏡でコンサを観る人が増えてきたように思えます。

後ろ通路の18列で観ていたのですが、肉眼でも十分観れる距離だったのにもかかわらず、向こう三軒両隣がバードヲッター(造語)。偶然かもしれませんが、ボクも含め2列6人が双眼鏡ウオッチしてるわけです。


それって


歌声に聴き入ること
ダンスのフリを真似すること
曲にあわせて体を動かすこと(ヲタ芸
サイリウムで光のウエーブを演出すること


に物足りなさを感じるようになってしまった、ということなんですかね?
どうなんでしょ?


ただ、少なくとも楽しみ方が変わってきたのは間違いないようです。


つまり「ファンにとってモーニング娘。が“白鳥”のような存在になっている」から。


美しく愛しい容姿や華麗な舞を鑑賞することに重きを置いているってことです。まぁ写真集の売上げや公式写真がバカ売れしている現状からしてこれは納得できる。「鑑賞対象としてのモーニング娘。」路線は今に始まったわけじゃない。ボクも公式写真は買うし、容姿で好きになったメンバーもいる。だから、容姿に傾倒することは、決して悪いことではないと思う。


でも、寂しさはある。


白鳥は息を飲むほど白く美しい。動作の一つひとつが華麗で惚れ惚れとする。
そして我々は存在を湖畔の草陰から気付かれないように観察する。


その距離、数百メートル。


モーニング娘。とファンとの心理的距離も今や「数百メートル」あるのだろうか。
横浜アリーナやSSAなどでは感じることの出来ない
ホールクラスの会場ゆえの「一体感」はどこへ行ってしまったのだろうか。


メンバーとファンとの関係は「マラソン」だと思っている。まずメンバーが先行しレースのペースを作る。そして、メンバーの背中を追うのが我々だ。沿道の観客でも、テレビ中継の視聴者でもない。共にレースを作る「第2グループ」だと思っている。


先頭集団と第2グループの距離はもはや肉眼で捕らえらないほど開いてしまっているのなら双眼鏡を使う人はこれからも増えるだろう。それが時流ならば受け入れたい。

                  ◇

でも、双眼鏡だからこそ観ることができた物はありました。
普段はちっちゃくて細かい動作までは把握できなかった矢口さんのパフォーマンスです。


歌っている最中の左手の動き。「次」を計算した重心の置き方。滑らかすぎる身のこなし。
小指の微かな動きからも何かが伝わってくる。まさに「匠の技」。痺れるほど美しかった。
「表現したい」という思いがよほど強くなければ、こうはいかないでしょう。
娘。コンに双眼鏡を持ち込んだのは今回が初めてだから、「何を今更」と言われそうですけど。