“卒業”後の準備を始める

 これからなにが起こるか全く知らず、いつもと変わらぬ日曜日の夜として「あなたがいるから矢口真里」を聴いていた、この番組のメインリスナーと言われる中高生男子諸君は5月23日0時5分をどう向かえたのだろう。激震が走ったその瞬間まで、何の予告もなく普通すぎる番組内容だった。心の準備もできずただただ茫然と3人の声に聴き入り、番組終了後、やり場のない思いを悶々と抱え、自宅を飛び出し深夜の街をあてもなく疾走していたかもしれない。15歳の頃のボクなら、息が切れて足が上がらなくなるまで世田谷通りを走り続けていたと思う。
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 発表から1ヶ月以上が経った。モーニング娘。は止まらない。多少の戸惑いはあったが、前方を走る14人の集団を追って、ボクもまだ走り続けている。卒業への免疫がずいぶん強くなり打たれ強くなったからだ。それにあの日で立ち止まる積極的な理由も見当たらなかった。みなそれぞれの速度で走り続けている。

 だが、ふと立ち止まって考え込みたくなる瞬間は多くなった。「これってモーニング娘。なのかな」。体は前傾姿勢。足もきちんと上がっている。だが頭が追いつかない。

 こんなとき、ボクは先頭集団から飯田圭織を探した。すぐに見つかり安心した。

 創設メンバーであり威厳や包容力も持ち合わせていたリーダーの存在は、モーニング娘。のシンボル。メンバーの先頭を走っているわけではないが、集団のペースは彼女が作っている。「ああ、圭織がいるのだから」。また足を踏み出すのに十分な理由だった。
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 ペースペーカーが交替したとき、そのペースについて行けるだろうか。モーニング娘。を見失いかけたとき、まず誰を探せばいいのか。何をもってモーニング娘。だと自分を納得させればいいのか。

 「モーニング娘。の定義」を考えることはあったが、“無くてはならないもの”ではなかった、と思う。ただ今後は定義らしきものが必要になってくるのだろうか。
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 モーニング娘。の「定義」や「理念」についてこれから少し時間をかけて考えていきたい。